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無頓着な松のショートエッセイ

いろんなことに無頓着な著者が、なんとなく思ったことをエッセイ風に書き連ねる雑記ブログです。何か感じるところがあったりしたら嬉しいですが、気軽に読んでもらったらと思います。


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フランクに譲り譲られ、それが普通の世の中になるといいな。

普段使用する電車の路線が変わってから、車椅子の人の乗り降りというのをよく見るようになりました。また、車両の方も、座席を設置せずに、車椅子の人用のスペースにしているところがあったり、いろいろバリアフリーの取り組みは進んでるんだなと感じます。


昨日も電車に乗っていたら、車椅子の人が乗ってきて、その時私はその車椅子用のスペースに立っていたので、何の問題もなく場所を譲ったんですが、その車椅子の人にやたら感謝されました。乗車の手伝いをした駅員の人にもえらい感謝してて、まあ乗車に協力してくれたんだから感謝の気持ちはあるとしても、そこまで恐縮しなくてもいいのに、と思ってしまいました。


もちろんありがとうと言われて悪い気はしないのですが、まあ言ってみれば当たり前に近いことをしただけだし、毎回毎回電車に乗るたびに恐縮しないといけないのかなと思うと、それはちょっと大変だよなあと。場合によっては人間性が卑屈になってしまったりしないのかななんて心配までしてしまいます。


とはいえ、それがその人なりの普通の感謝の表し方なのかもしれないし、場所を譲った側の感じ方も人それぞれでしょうから、私がどうこういうのも違うのかもしれないですけどね。ただ、電車やバスで席や場所を譲ることに限らず、この手の思いやり的なことを、もうちょっとフランクにできないもんかなと個人的には思います。


ただ、矛盾するようですが、たまに見かける、電車で優先席を必要な人に譲るという光景で、譲る側と譲られる側のちょっとした言葉と心のふれあいみたいなのを見るのはとっても好きで、あれ見てたらやっぱり気分がいいです。なので、今回の件もそういうことだと思えばいいのかなあ。


なんにしても、譲り合い、思いやりがもっと当たり前になって、譲る側も、譲られる側も、自然に振る舞えるような、温かい社会になったらいいな、と思います。満員電車でそういう思いを持つのが非常に難しいのはよーく分かります。普段は仏教でどうのとか言ってる私も満員電車では仏の心とか言っていられません。でも、比較的気分に余裕があるときにそういうハートフルな経験をしておくと、余裕がないときにも少しハートフルの入り込む余地ができてくるかもしれません。日頃の行いがモノを言うんですね。


また、今のところ私はまだ40代で若く、身体も不自由はないので、こういうときには大体譲る側ですが、将来歳をとったり、あるいは事故か何かで体が不自由になってしまったりしたときのために、譲られ方も勉強しておいた方がいいかななんて思ったりもしました。